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パチンコの歴史⑥ 連チャンブームとCR機の登場
最終更新日:本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第6回は「連チャンブームとCR機の登場」です。
目次
パチスロ2号機から3号機への規則改正
1990年の規則改正において、パチンコは「一発台」や「おまけチャッカー付きデジパチ」などが禁止され、一方でデジパチの出玉性能が拡大されました。
一方で、パチスロにおいては厳格な規制が導入されました。
この改正以前、パチスロは2号機時代において大幅な緩和が行われ、新しいジャンル分けや集中役の人気などが生まれました。
2号機では貯留50枚まで搭載OKや新しいジャンル分け、集中役に関する緩和があり、パチスロは大きく変容しました。
しかし、新たな規制も導入され、ゲーム数や吸い込みの禁止、完全確率方式の採用などが規制されました。
特に完全確率方式の採用により、連チャン機が姿を消し、Aタイプの人気も低下していきました。
1990年の規則改正では、パチスロにおいても集中役に厳しい制限が課されました。
シングルボーナスのみOKで小役の集中は禁止され、集中役は300分の1以上の確率でパンクする規定が導入され、期待獲得枚数は大幅に減少しました。
また、ゲーム数についてもわずかな修正が加えられました。 この規則強化により、パチスロ3号機は以降、予期せぬ進展を迎えることとなりました。
過激な連チャン性と裏物時代
1990年代に入り、パチスロ3号機の時代が幕を開けました。
集中役に規制がかかり、2号機のようなゲーム性が望めなくなった中、一部の機種が新たな展開を見せました。
山佐製の「スーパープラネット」は、ボーナス終了後に連チャンに近いスランプ状態を作り出す独自のゲーム性で人気を博しましたが、2号機の高い射幸性に慣れたファンには物足りなさを感じさせたと言われています。
その後、瑞穂製作所製の「コンチネンタル」が登場し、一発で数千枚の出玉を可能とする過激な連チャン性で注目を浴びました。
しかし、この機種にはコインセレクターに組み込まれた「CS-90」という部品が、予期せぬ仕様で過激な連チャン性を生み出していたことが発覚し、検定取り消し処分を受けました。
1991年に登場したアークテクニコ製「ワイルドキャッツ」とバルテック製「セブンボンバー」も、一時的に書き込みを行う手法により連チャン性を実現していましたが、これらも検定取り消し処分を受ける結末となりました。
これらの機種は正常ではない連チャンをする3号機の一部に過ぎませんでしたが、実際にはメーカーが把握していない手法で「ウラ化」していくことが続き、数々の裏物が登場しました。
有名な裏物機種には「リノ」「ドリームセブンJr」「アポロン」「グレートハンター」「トライアンフ」「アラジンⅡ」「デートライン銀河Ⅱ」などがあり、これにより3号機は「パチスロ総・裏物時代」と呼ばれるほどの状態になりました。
攻略法が可能な機種も多く存在し、パチスロの裏の世界が拡がる中で、攻略雑誌が好調な売れ行きを示し、ホールには朝から多くの客が並ぶ光景が広がりました。
この一方で、パチスロの人気は上昇し、非常に活気ある時代を迎えましたが、同時に違法な手法や攻略法が横行することとなりました。
パチンコ業界におけるカード化の波乱
1990年代初頭、パチンコ業界では「CR機構想」が進行しましたが、これは業界内での受け入れが容易ではなく、複雑な展開を辿りました。
初のCR機が登場するのは1992年でしたが、その背景には数年前から始まった「ハウスカードシステム」の導入が関係していました。
1986年に初めて導入されたこのシステムは、パチンコ店内で購入したプリペイドカードを利用して玉を借りるというもので、全遊協(全国遊技業協同組合連合会)が行政に打診して許可されました。
しかし、このシステムはホールの集金業務の軽減というメリットがある一方で、遊技客には不便さがあり、あまり支持を得られませんでした。
同時期に、行政側は「INのクリア」を模索し、脱税関連の問題を解決する必要性を感じていました。
これを受けて、いくつかの企業が「全国共通プリペイドカードシステム」の導入を警察庁に陳情し、1988年にはいくつかのカード会社が設立されました。
全遊協はこの動きに窮し、ハウスカードの導入に対しては難色を示す一方で、別の団体である現在の日遊協(一般社団法人 日本遊技関連事業協会)がCR導入を積極的に進めるなど、業界内での意見が分かれました。
結局、全遊協は内部分裂を起こし、1990年に解散することとなりました。
この波乱の中で、1992年に初めて登場したCR機は、新たな時代を切り拓く一方で、業界内外の対立と混乱を象徴する出来事となりました。
CR機の登場と現金機の連チャンブーム
1992年8月、日本のパチンコ業界に初めて登場したCR機は、多くのメーカーにより同時に発表されました。
SANKYO製「CRフィーバーウィンダムⅠ」、ソフィア・西陣製「CRうちどめくん」、京楽産業製「CRフラワーショップ」、ニューギン製「CRエキサイトロイヤル」、三洋物産製「CRミラージュナイト」、竹屋製「CRノーザ」など、これらの機種はCRユニットと接続し、新機能として「上皿から貸玉を払いだす」だけでなく、「統一キー」と「3段階設定機能」、そして大当たりの「確率変動機能」が搭載されていました。
この「確率変動機能」は、1992年に行われた国家公安委員会規則の一部改正で初めて認められたものでした。
法的には現金機でも搭載可能でしたが、実際にはCR機だけがこの新機能を搭載し、「ダブルスタンダード」として問題化されることとなりました。
しかし、鳴り物入りで登場したCR機は、ホールにおいてテスト導入後に普及しないという結果に終わりました。
この普及が阻まれた理由には、導入にかかるコストが挙げられます。
イニシャルコストだけでなく、データ通信費用などのランニングコストが高額であり、ホール側が二の足を踏むケースが多かったことが挙げられます。
もう一つの理由は、当時のCR機が確率変動機能搭載といえども、突入率や確変中の玉の減少が少なく、ファンにとっては魅力に欠けていたことです。
一方で、この時期の現金機は保留連チャン機全盛時代であり、連チャン機ブームが続いていました。
プログラム上はノーマル機種であったが、エラー回避処理を利用した連チャン機が多数登場し、大ヒットを記録していました。
CR機の導入コストもなく、性能・人気ともに優れていたため、CR機が進まない時代でした。
1992年には、現金機の中でも平和製「麻雀物語」やSANKYO製「フィーバーパワフルⅢ」などがヒットし、連チャン機が依然として人気を博していました。
このような状況から、CR機の導入は難航し、業界は再び現金機の魅力に引き寄せられていくこととなります。
「ダービー物語」の取締り
遅々として進まないCR機の普及状況に不満を募らせた行政側は、その原因を現金機の射幸性の高さに求め、特に「ダービー物語」を標的に据えました。
1993年に登場した平和製の「ダービー物語」は、確率235分の1で16ラウンド、10カウントで15個賞球、大当たり払い出し2,400個というスペックを持っていました。
ノーマル機でありながら、「一定条件が整えば連チャンする」という特性を持ち、人気を博していました。
この機種は大当たり中に発生する「激しく光る演出」が原因でスタックオーバーが発生し、エラーが生じるという特徴がありました。
エラーが発生すると、保留玉の乱数が書き換わり、再度大当たりする可能性が高まりました。
行政はこの機種を通じて、保通協型式試験時とホール設置時の釘調整の違いに注目し、取り締まりの対象としました。
1993年10月19日、埼玉県警と大宮署が平和本社および工場を家宅捜査し、埼玉営業所と県内の設置店から約200台の「ダービー物語」を押収。
容疑は「風俗営業適正化法違反(無承認変更)」で、アタッカー周辺の釘曲げが行われていたとされました。
メーカーの営業マンや埼玉営業所社員も逮捕され、波及していったが最終的には全員が起訴猶予処分で釈放される結果となりました。
この事件以前から、行政側からはメーカーに対し自粛の要請があったとされ、日工組も1993年7月に一部機種の販売自粛を行っていました。
そして、1993年10月15日には日工組が緊急会議を開き、同年3月31日以前に申請された連チャン機の受注を一定期限までに制限しました。
その翌日には「ダービー物語」事件が発生し、行政の本気度が表れた出来事でした。
翌1994年、CR機普及への姿勢を見せるため、日工組は内規を緩和し、確率変動を10倍アップまたは最高50分の1まで許容。
一度確変に入れば次の大当たりまで続く「2回ループ」を認めました。
しかし、それでもなおCR機の導入は容易ではありませんでした。
パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第7回は「CR機普及と射幸性の増大」をお伝えします。