パチンコ転職知識

パチンコの歴史⑧ パチスロ4号機の台頭

本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第8回は「パチスロ4号機の台頭」です。

目次

パチンコ依存症に対する業界自主規制

社会的不適合機の撤去後、パチンコ業界は「CR機2回ループ仕様」がファンに支持され、大きなブームを迎えました。

しかし、その後「2回ループ+時短機」の登場により、「CR機の射幸性の高さ」が社会問題となり、様々な負の側面が浮き彫りになりました。

子供が車中に置き去りにされる事故や偽造カード問題などが発生し、「パチンコ依存症」の言葉も登場しました。

この頃、1996年7月に日遊協が「一回に5万円を超える勝ち負けをなくす」などの自主規制方針を発表し、全日遊連、日遊協、日工組、日電協の4団体が「お客様への10の約束」を発表しました。

これには、「玉箱は手元に1箱、足元に3箱以上積まない」「モーニングの禁止」などが含まれています。

しかし、都遊協の発言により、5万円までの制限ではなく、2万円や3万円にするべきだとの指導があり、その後、遊技機メーカー各社が自主的な販売自粛を始めました。

例えば、SANKYO製「CRフィーバービッグパワフルEX」は、当時の規則をクリアしつつも、画期的なアイデアである「液晶画面は飾り図柄で、実際の特図はセグ」という仕様を採用しました。

この機種は自主的に「9回リミッター」が搭載され、自粛ムードの中で販売されましたが、その後の市場での動向が変化しました。

1996年11月以降、各メーカーが発表した機種は突入率が低かったり、ラウンド数が10ラウンドだったりと、事実上フルスペック機は導入が難しくなりました。

この時期の自主規制が、業界の将来に大きな影響を与えることとなりました。


内規改正、パチンコからパチスロの時代へ

1996年10月1日、日工組は大きな決断を下し、非常に厳しい内規への改正を実施しました。

これにより、保通協に持ち込まれる機種に対して「①確率変動は次回までとすること(2回ループの禁止)」、「②確率変動の突入率・継続率は2分の1を超えないこと」、そして「③確率変動の連続合計値が80ラウンドを超えないこと」の3つの厳しい条件が組合員に義務付けられました。

これは通称「5回リミッター規制」と呼ばれ、1回の大当たりが16ラウンドならば最大で5回の連続当たりまでしか確変を継続できない仕組みでした。

この新しい規制により、確変が最大5連チャンまでしか継続しないという制約が生まれ、ファンの投資金額に上限が設けられることとなりました。

この「5回リミッター規制」の導入により、パチンコ市場は急速に冷え込んでいきました。

既に2回ループ機を設置しているホールも、新たな「5回リミッター機」の導入を控えざるを得ませんでした。

この規制が業界全体に与えた影響は甚大で、遊技機メーカーの業績にも大きな打撃を与えました。

これにより、日本社会のバブル崩壊から6年後、パチンコ業界はついに「CRバブル」の終焉を迎え、冬の時代を迎えました。

しかしながら、この苦境に立たされた業界に新たな救いの手が差し伸べられます。

それが「クランキーコンドル」と「ウルトラマン倶楽部3」などのパチスロ4号機でした。


パチンコリミッター不況を救ったパチスロ4号機

1996年10月1日、保通協による新たな規制が施行され、パチンコ業界は「2回ループ禁止」「確変率50%まで」「確変5回リミッター」などの厳しい条件に直面し、CRバブルは終焉を迎えました。

しかし、この苦境を打開する救世主が登場したのは、パチスロ機でした。

既に1990年10月の規則改正以降、パチスロは「4号機」として新たな規制が導入されていました。

基本的には3号機に比べて規制が強化されていたが、その中で「リプレイハズシ」と呼ばれる新たなゲーム性が生まれました。

初めてこの新しいゲーム性が試されたのは、1992年12月にエレクトロコインジャパン製の「チェリーバー」が登場した際でした。

この機種には「リプレイハズシ」が秘められており、これが後のパチスロ界に革命をもたらすことになりました。

「リプレイハズシ」では、JACイン(リプレイ揃い)を目押しで阻止し、小役ゲームを引きのばして獲得枚数を増やすという戦略が取れました。

特に「チェリーバー」では、2枚入れでJACイン確率が上がり、残りゲーム数が少なくなると2枚入れにすることで、3回目のJACインも取りやすいという特徴がありました。

その後、山佐製「ニューパルサー」やユニバーサル販売製「クランキーコンドル」などが登場し、「リプレイハズシ」仕様の機種が次々に発売されました。

これにより、若者層を中心にパチスロの人気が急上昇し、パチスロは「5回リミッター規制」以降のパチンコ不況を打破し、設置台数の増加スピードが加速していきました。

1996年の規制以降、パチスロが業界を支える存在となり、新しい時代の幕開けとなりました。



パチスロの新機能「CT」導入

1996年10月15日、日電協は自主規制対応機案として「Bタイプ(JACゲーム2回)にチャレンジタイム(CT)を付加する」内容を発表し、この発表をきっかけにパチスロ機には大きな変革が訪れました。

その中でも、サミー製「ウルトラマン倶楽部3」とエレクトロコインジャパン製「アステカ」は特に大ヒットし、パチスロ機の人気を加速させました。

CT機は当初、「目押しがうまい人しか打てない」とされていましたが、各社が見やすい図柄を狙ってコインを増やすための工夫や、一定枚数に達してもCTが終了しないようにハズして現状維持を狙う戦略などが生まれ、目押しの腕前に自信のないプレイヤーでも簡単に遊技できるようになりました。

しかし、予想に反してCT機は「1万枚オーバー」という高い射幸性があり、ホールでは大きな人気を博しました。

同時期に遊技機基準が変更され、ジャンルが多様化していく中、業界はこれまで経験したことのない追い風に乗ることとなりました。

ただし、この追い風が最終的には5号機規制へとつながるきっかけとなることは、当時の業界にはまだ認識されていませんでした。


「7ライン機」の登場

CRバブルの終焉に伴い、ユニバーサル販売(現ユニバーサルエンターテインメント)製「クランキーコンドル」やサミー製「ウルトラマン倶楽部3」などの斬新なパチスロ機が登場し、業界不況を打破しました。

そのなかでも、1998年10月に山佐が発売した「ドクターエー7」と「アストロライナー7」は、新たなジャンルとして注目されました。

この2機種は、通常の5ライン機にはない「有効ライン数7ライン」というゲーム性を導入した画期的な機種でした。

当時、有効ライン数に特に規定はなく、慣例的に「1枚投入で1ライン・2枚投入で3ライン・3枚投入で5ライン」というゲーム性が一般的でした。

しかし、「7ライン」という選択は、ビッグボーナス確率と密接な関係がありました。

当時の規則では、ビッグボーナスは「表面上、全組み合わせの1,500分の1を超えないこと」と定められていました。

通常の5ライン機では、最大でボーナス図柄の並び方が30通りまでしか設定できませんでした。

一方、「7ライン機」ではボーナス図柄の組み合わせが増え、「6×7ライン=42通り」となりました。

これにより、ビッグボーナス確率も「9,261分の42」の±30%の範囲内で設定でき、通常の5ライン機よりも広い確率範囲での調整が可能となりました。

最大の特徴は、これまでの約240分の1までしか甘くできなかったビッグボーナス確率を約170分の1まで甘くできる点であり、これが「7ライン機」の革新的な要素でした。


「大量獲得機」の登場

1998年4月1日、遊技機規則の「技術上の規格解釈基準」が改正され、これまでの「入賞に係る図柄にはリプレイを含めない」新たな基準が導入されました。

これにより、ビッグ・レギュラー・小役・リプレイを含むすべての入賞図柄が対象となり、その合計数は全体の11%~40%に制限されました。

この基準変更により、小役の組み合わせが増え、図柄配列の自由度が向上しました。

同時に、図柄の引き込みに関する計算方法も変更されました。

さらに大きな変化は、保通協の型式試射試験時において「期待値」のチェックがなくなり、「出玉率」と「連続役物比率」をクリアすれば適合するように検査方法が変わったことです。

以前は「ビッグボーナス中の小役ゲーム中の出玉期待値は2.0を超えないこと」が適合条件に含まれていましたが、新しい試験方法では「目押しせず順押しで消化した場合に、出玉率と連続役物比率がOKなら適合」となりました。

これにより登場したのが「大量獲得機」で、ビッグボーナス中のJACゲームシフト確率が下げられ、ボーナス中の小役ゲーム中は「目押しせず順押し消化すれば、出玉率、連続役物比率ともクリアする」仕様で、特に小役ゲーム中に「リプレイハズシ」や「特定小役目押し」を駆使すれば最大で600枚近く出る機種が登場しました。

最初の大量獲得機はサミー製の「Bin貧神さま」で、その後もIGTジャパン製「ホッパーキング」や山佐製「花月」などが続々と登場し、アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)製の「大花火」が空前の大ヒットを記録しました。

この1998年は、パチンコの5回リミッターによる冷え込みを補完し、飛躍的にパチスロが設置台数を伸ばした年であり、パチスロ界において転機となった年と言えるでしょう。

ニューパルサーの一色だったパチスロのシマに、Aタイプの「サンダーV」や「HANABI」、CT機の「ウルトラマン倶楽部3」、7ライン機の「ドクターエー7」、大量獲得機の「Bin貧神さま」や「ホッパーキング」などが次々と導入され、一部店舗では後に検定取り消し処分となる「リズムボーイズ」なども導入されました。 単純な射幸性の向上だけでなく、ジャンルの広がりや選択肢の多様性、さらには「バラエティ化」が成功したことが、この時期の設置台数が歴史上初めて100万台を超える大成功につながったのです。


パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第9回は「パチンコ復活への兆し」をお伝えします。

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