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パチンコ転職知識
パチンコの歴史⑨ パチンコ復活への兆し
最終更新日:本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第9回は「パチンコ復活への兆し」です。
目次
パチンコは射幸性から演出向上へ
1998年、ついにパチスロの設置台数が100万台を超え、CT機、7ライン機、大量獲得機など新ジャンルの導入により、射幸性とゲーム性が広がりました。
一方で、パチンコは依然として厳しい状況が続いていました。
その要因は「5回リミッター規制」にありました。
この規制は、1996年10月1日から保通協に持ち込まれる機種に対して「①確率変動は次回までとすること(2回ループの禁止)」「②確率変動の突入率・継続率は2分の1を超えないこと」、そして「③確率変動の連続合計値が80ラウンドを超えないこと(16R×5回)」という制限を日工組の組合員に課すものでした。
この厳しい規制の下で、パチンコは出玉性能において大きくパチスロから遅れを取っていました。
しかし、パチンコ業界は販売台数の減少に歯止めをかけるために、演出面において企業努力を開始しました。
その転機が1997年5月28日に行われた「パチンコ・パチスロ新型機発表展示会」でした。
このイベントで注目を浴びたのは、田川寿美とのタイアップ機である京楽産業製の「CR華観月X」と、吉本興業とのタイアップ機である大一商会製の「CR寛平笑劇場V4」でした。
その後、1997年12月には当時最大の液晶画面(10.4インチ)を搭載したタイヨーエレック製の「CR海底天国7」が登場し、翌1998年には三星(現・サンセイR&D)製の「CRがきデカ3」、10月には平和製の「CRルパン三世K」が発売されました。
これらの機種は、タイアップと液晶の巨大化により、射幸性ではなく演出面での楽しみを提供する工夫が凝られていました。
これらの取り組みは、現代のパチンコ・エンターテインメントの原点と言えるものであり、5回リミッター規制の中で急激な演出面の向上が生まれる契機となりました。
パチンコ新基準による光明
1999年1月13日、日工組は内規変更を発表し、これにより大きな変革がパチンコ業界に訪れました。
主な変更点は4つあり、それぞれがパチンコ機のスペックに大きな緩和をもたらしました。
これらの変更は、パチンコの新たな展開となり、ヒット機種が次々と登場する契機となりました。
まず一つ目は賞球数と下限確率の緩和です。
これにより、大当たり確率を320分の1よりも甘くする場合、最低賞球が大きく増えることが可能となりました。
これにより、より多くの賞球を手に入れられるようになりました。
次に確変中確率の緩和。
以前は「50分の1より辛くする」のが上限でしたが、新基準では「大当たり確率の10倍を超えない範囲」となり、より高い確変中確率が許容されました。
三つ目は確変報知手段の緩和。
以前は大当たり時に確率変動突入か否かを即座に報知しなければなりませんでしたが、新基準では「大当たり確定時から大当たり終了後の最初の特別図柄の変動開始時までの間に報知する」と変更。
これにより、ラウンド中の確変昇格演出が可能になりました。
最後に注目されたのは確変突入率と、変動率ごとによるリミッター回数の緩和。
確変が2分の1以下の場合、一度の出玉が2,250個以内ならリミッターは付けなくてもよくなりました。
これにより、より多くの連荘が可能となりました。
これらの大幅な内規変更により、主流となったのは「大当たり確率315.5分の1、確変50%、5&15、15R、リミッター無し」という新しいスペック。
最初のリミッター解除機として登場したのはSANKYO製「CRフィーバーゼウスSX」で、この変更により新しい時代が幕を開けました。
新スペック機の登場
1999年1月13日、日工組の内規変更により、ついに5回リミッターが解除されたパチンコ機。
これに伴い、大当たり確率を320分の1よりも甘くする場合に限って賞球5&15が可能(それまでは6&15)とするなどの新しいスペックが誕生しました。
その後、三洋物産製の「CR海物語3R」が登場し、これが大ヒット。
新たな時代のスタートとなり、「大当たり確率315.5分の1、確変50%、5&15、15R、リミッター無し」が主流のメインスペックとなっていきました。
同年には、新たなスペックを持つ機種も登場しました。
一つは藤商事製の「CR妖怪演芸FN」で、初の確変突入率3分の2の機種として注目されました。
しかし、内規上の理由から出玉1,500個で8回リミッター搭載という点がファンに受け入れられず、ヒットには至りませんでした。
しかし、後の確変高継続率機への道を切り拓いたチャレンジ機と言えるでしょう。
もう一つは京楽産業製の「CRジャングルパークXLTD」。
これは初の回数切り確変機として登場し、現在の「ST機」のルーツとなる機械でした。
大当たり確率を239.5分の1と大幅に甘くし、確率変動となっても「20回転で確変が終了する」という斬新なスペックでした。
しかし、内規上の理由から確変率は50%が上限で「100%確変」ができなかったため、ファンの支持を得るには至りませんでした。
この後もST機はいくつか登場しますが、確変突入率が2分の1でST機という点が変わらず、なかなか支持されない結果となりました。
なお、この時期には「次回まで確変」バージョンの機種も登場し、市場でヒットを記録していますが、実際には「10,000回転まで確変」となっていたことが興味深い事実です。
パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第10回は「パチスロAT機の登場」をお伝えします。