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パチンコ転職知識

パチンコの歴史② チューリップと新遊技機

本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第2回は「チューリップと新遊技機」です。

目次

「チューリップ」誕生の舞台裏と新たな展開

1955年、「第1期黄金時代」の終焉により、パチンコ業界は急速な低迷期に入りました。

ホール数は急激に減少し、業界の未来は不透明でした。

しかし、1957年に西陣が開発した「役物」が登場し、業界に新たな息吹をもたらしました。

この役物は視覚的な楽しさを提供し、ホール数の回復を促しました。

同年には風営法が改正され、「ぱちんこ」が正式な風営法7号営業となり、業界は再び動き出しました。

1959年、西陣が「ジンミット」の進化系として「あたりだよおとっつあん」を発売し、大成功を収めます。

この機種は役物に人形のようなものを配置し、玉が役物に飛び込むたびに人形が飛び出す斬新な仕組みで、後の「ハネモノといえば西陣」と言われる時代の幕開けとなりました。

同じ年、大阪で部品メーカーを営んでいた鳴尾辰三が、後の救世主となる「チューリップ」の原型を発明しました。

この発明は、一度入賞すると小さなハネが一定時間開きっぱなしになり、再度の入賞が容易になるという画期的な仕組みでした。

鳴尾氏はこのアイデアを成田製作所に売却しましたが、彼の名前はあまり取り上げられませんでした。

成田製作所は鳴尾氏の発明にさらなる改良を施し、「チューリップ」が1960年に誕生し、特許を取得しました。

この革新的な役物の登場により、パチンコ業界は再び大きな躍進を果たし、「第2次黄金時代」への道を切り拓くこととなりました。


第2次黄金時代の幕開けと繁栄

1960年、「チューリップ」の革新的な役物が誕生し、パチンコ業界は新たな展開を迎えました。

同年、「日本遊技機工業協同組合(日工組)」と「全国遊技機商業組合連合会(全商連)」が設立され、これらの組合は現在も活動しています。

日工組は設立時に60社が加盟し、1963年には54社で「日本遊技機工業組合」に改組され、全商連も1989年に「全国遊技機商業協同組合連合会(全商協)」に改組されました。

1960年、チューリップの登場に合わせて「東京台東体育館」で初のパチンコ機展示会が開催され、その後も各地で展示会が続きました。

1964年には「西日本遊技機展示会」が開催され、この展示会を通じてチューリップの人気が特に西日本で拡大しました。

風俗営業等取締法も改正され、パチンコは「大人の遊び」となりました。

ホール数は1万店を回復し、遊技機台数も125万台まで増加しました。

1966年、遊技機基準の緩和により36種類の役物が正式に認可され、チューリップは全国的に普及。

製造・販売数が年間400~500万個に達し、爆発的な人気を博しました。 同年7月に開催された「’66東京パチンコショー」も成功裏に終了し、パチンコ業界は空前のブームを迎え、第2次黄金時代が頂点に達しました。


新ジャンル遊技機の革新

チューリップの誕生と同時に、画期的な新ジャンル遊技機も登場していました。

1958年、藤商事が「じゃん球」の製造を開始し、全国にリースで販売される業界初の試みが始まりました。

このゲームは、コイン1枚を投入することで14発の玉が打ち出され、封印式の上皿に入賞すると成立した麻雀役に応じてコインが払い出される仕組みを持っていました。

初期の風貌はメダル式パチンコに似ていましたが、特有のゲーム性から一部で人気を博し、その後の展開に影響を与えました。

このゲーム性は、後に1972年に認可される「アレンジボール」の基盤となりました。

なお、「じゃん球」は近年においても発売されており、2003年までは3枚200円のコインを投入してプレイし、14球の打ち出しを1ゲームとする仕組みでした。

これは「じゃん球」「アレンジボール」に通じる内容で、役の成立でコインが払い出される仕組みが継承されていました。

2004年以降の規則改正でコインは1枚20円に変更され、パチスロと同じコインが使用されるようになりました。

2007年にサミーから発売された「ドリームジャンベガス」では、コイン3枚を投入して14枚の配牌が液晶に表示され、不要牌を捨てながら11球の打ち出しを行い、役が成立すればコインが獲得できる新しい要素が導入されました。

サミーからはその後も新しい「じゃん球」シリーズが続々と登場しています。

1964年には公安委員会によって正式に認定された「オリンピアマシン」も登場しました。

最初の認可機はセガ社製の「オリンピアスター」で、1メダル1ライン機のボーナスがないという仕様でした。

この機種は「ストップボタン」を搭載し、「技術介入性」があると判断されたために認可が得られた大きな理由となりました。

ただし、都道府県により許可・不許可の差がありましたが、目押しで図柄をそろえることができるゲーム性から一部で人気を博しました。

この機種は後に進化し、現在の「回胴式遊技機」であるパチスロへと発展していく重要な一歩となりました。

この時代に生まれた多くの発明品が、現在のパチンコ産業を支える基盤となっています。


パチスロ黎明期の困難な道のり

1964年、セガ社製の「オリンピアスター」が公安委員会によって初めての認可機として登場し、これが回胴式遊技機のスロットマシンとしての扉を開きました。

しかし、この認可機の登場までには様々な困難がありました。

終戦直後の1940年後半に米軍の支配下にあった沖縄で初めて導入されたアメリカ製のスロットマシンが、後に本土にも広がっていきました。

しかし、本土では日本の営業許可がないため不正機とされ、警察庁は技術介入性が不足し賭博機に適さないとの見解を示しました。

こうした状況に諦めず、技術介入性を追求する研究が進展し、10年後に公安委員会が「オリンピアスター」を認可することとなりました。

最大の理由は「ストップボタン」の搭載により技術介入性が認められたことでした。

そして、この「オリンピアスター」には今日のようなボーナスゲームがなく、小役を揃えるのみのゲーム性でしたが、後の「ニューオリンピア」にはボーナスゲームが搭載され、以後、ボーナスゲームが主流となりました。

ただし、「オリンピアマシン」は目押しが上手ければ高確率で図柄を揃えることができ、一般にはあまり普及しませんでした。


ステッピングモーター登場による進化

「オリンピアマシン」の普及には至らなかったが、1977年にはマックス商事が3メダル5ライン機の「ジェミニ」を発表し、パチスロの基本を確立しました。

この機種では目押しによる図柄揃えをランダムにズラす物理的な機能が導入され、ゲーム性が向上しました。

同時期に「アメリカンパチンコ」への名称変更もあり、現在のパチスロに近づいていきました。

そして、1980年にはフィーバーブームの中で革命的な機種が登場。

ユニバーサル製「アメリカーナ」や尚球社製「パチスロパルサー」が「ステッピングモーター」を採用し、現代のパチスロのスタイルが確立されました。

このステッピングモーターにより、フラグ抽選を経てリールを停止させるスタイルが一般化し、パチスロは急速に普及していきました。

また、筐体の変化により「パチンコ型スロットマシン」が「パチスロ」として一般的な呼称となり、九州での本格導入を皮切りに全国的な認知度を高めました。

1985年にはユニバーサル社がラスベガスに初めてステッピングモーターを採用したリールマシンを投入し、この技術が急速に広まりました。

アメリカ本土発のスロットマシンが日本で進化し、日本の技術が世界にも影響を与える瞬間となりました。


0号機から1号機への転換

1980年に設立された「日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)」は、パチスロ黎明期における中心的存在となりました。

加盟企業数は10社で、初代理事長には高砂電器産業の濱野準一氏が就任しました。

日電協は「オリンピアマシンショー」などの合同展示会を通じて、パチスロ市場の固定化を進めました。

1981年には全国のパチスロ設置台数が2万4千台に達し、1983年には9万7千台と市場を拡大していきました。

1985年には「新風営法」の施行に伴い、「パチスロ」が法的に「回胴式遊技機」として認識され、同時に「財団法人 保安電子通信技術協会(保通協)」による型式試験がスタートし、俗に言う「1号機」時代が始まりました。

「0号機」は「1号機」以前の機種を指す造語です。

保通協の型式試験を通過した「1号機」第1弾として登場したのは、「ワンダーセブン」や「アメリカーナXX」など4機種でした。

これらの機種では、ボーナスフラグがメダルの差枚数が一定に達すると成立する吸い込み方式が採用され、天井やビッグボーナスの仕組みも確立されました。

ビッグボーナス時の打ち方も独自で、連チャン時には短く、ハマリ時には長く選択される仕組みでした。

その後、1号機の普及に伴い攻略法や不正改造が問題となり、日電協は1986年に全国ホールの健全化を目指し基盤封印作業を開始しました。

しかし、これでも不正改造はなくならず、危機感を持った日電協は「1.5号機」の導入に踏み切り、以降のパチスロの歴史が動き始めました。


パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第3回は「電動式遊技機&フィーバー機」をお伝えします。

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