あなたが活躍できる
パチンコ業界に特化した記事を、
数多く掲載!
パチンコ転職知識
パチンコの歴史⑤ 一発台の盛衰と規則改正
最終更新日:本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第5回は「一発台の盛衰と規則改正」です。
目次
「一発台」の登場とフィーバー機の脱却
1980年12月21日、フィーバー機は初めてエース電研の直営店である「パチンコ白鳥」に導入され、全国に広がることとなりました。
しかし、その過激な射幸性から社会問題となり、1981年に「30秒開放・10ラウンド規制」、1984年には「10カウント規制」が導入され、最大1,300発までの出玉制限が課せられ、フィーバーブームは急速に下火となりました。
この中で、一部のファンは「ハネモノ」「権利モノ」では足りず、「一発台」が求められるようになりました。
「一発台」はもともとジャンルとして存在せず、「平台」と呼ばれるチューリップ機を釘の調整により一発台に変えたものでした。
特定のチューリップに入賞すれば通常は閉じるはずのチューリップが開いたままになり、玉が別の入賞口に容易に入り続け、店側が強制的に終了させる「打ち止め」まで出玉が続く仕組みでした。
この「一発台」の仕組みを応用し、フィーバー機にも採用できないかというアイデアから、1987年にはニューギン製「サンダーバーズI-A」が登場しました。
この機種は通常のフィーバー機とは異なり、表示部に縦5機×横5機の飛行機が配置され、特定の列が揃うと大当たりとなる独自の仕組みを採用していました。
しかし、最も革新的だったのは、出玉性能の向上でした。
通常のフィーバー機が制限された1,300発に対し、この機種は2,000発以上の出玉が容易にできるように工夫されていました。
その秘密は、ハネの形状を持つアタッカーがボードの上部に搭載され、大当たり中に左右にハネが開き、通常難しい左右のチャッカーに入賞しやすくする仕組みでした。
これにより、通常よりも多くの玉が入賞し、2,000発以上の出玉が可能となっていました。
この機種は「おまけチャッカー」と呼ばれる左右のチャッカーの仕組みを初めて導入しました。
しかし、表示部の特異性から大ヒットには繋がりませんでした。
それでもこの新しい仕組みは各社に影響を与え、1987年に平和製「ブラボーレーザースペーシー」が登場し、美しいデザインと「おまけチャッカー」を搭載した新しい仕組みにより大ヒットしました。
その後も各社から「おまけチャッカー」付きの遊技機が登場し、フィーバー機の人気は復活の兆しを見せました。
「おまけチャッカー」の進化と「保留玉連チャン機」の登場
「ブラボーレーザースペーシー」を皮切りに、「おまけチャッカー」搭載の機械は次々と進化し、アタッカー形状やゲージが向上していきました。
この進化により、釘調整によっては出玉が増加し、一部地域では問題が発生するほどの激しい出玉合戦が繰り広げられました。
一方で、単発の大量出玉ではなく、連続して大当たりが発生する「保留玉連チャン機」が注目を浴びました。
その代表的な機種が豊丸製の「ドンスペシャルB」で、プログラム上では通常の機種でしたが、大当たり後の処理において発生するスタックオーバーを利用して、連続して大当たりが発生する仕組みでした。
スタックオーバーが発生すると前回と同じ乱数値が使われ、再び大当たりが続くというトリッキーなシステムが組み込まれていました。
このため、「保留玉連チャン機」がホールで大ヒットし、他のメーカーも追随して同様の機種を発売しました。
しかし、1990年に風適法が改正され、「一発台」と同様に「おまけチャッカー」も一掃され、その時代の終焉を迎えました。
国家公安委員会規則改正とパチンコ規制の変遷
1980年代後半以降、1,300発規制が行われ、「一発台」と「おまけチャッカー付きデジパチ」が大ヒットしました。
しかし、80年代終盤には新たな規則改正が予測され、1990年10月1日に実施されました。
この改正により、「一発台」と「おまけチャッカー」が本来の出玉性能から逸脱する問題が解決され、特定の入賞口以外への入賞を容易にする構造が禁止されました。
同時に、パチンコにおいては出玉感を一定程度保ちつつ、規制も緩和されました。
詳細は1990年10月1日に施行された規則改正により、「一発台」や「おまけチャッカー」が姿を消す一方、パチンコにおいては規制の緩和も行われています。
以下は、1990年10月1日施行「遊技機の認定及び型式の検定に関する規則」改正部分の抜粋になります。
別表第3の1
《ハ》役物が作動した場合に当該役物の作動によりその入口が開き、又は拡大した入賞口以外の入賞口への遊技球の入賞が容易になるものでないこと
別表3の2
《へ》遊技球を入賞させることができない入賞口を有しないものであること
(出玉の緩和部分)
別表第2の1
「ロ」《イ》一個の遊技球が入賞口に入賞した場合に、十五個を超える数の遊技球を獲得することができるものでないこと
「チ」《ロ》役物連続作動装置の一回の作動により第一種特別電動役物又は第二種特別電動役物が連続して作動する回数は、十六回を超えるものでないこと
別表第3の1
「ロ」《イ》一個の遊技球が入賞口に入賞した場合に、十五個を超える数の遊技球を獲得することができるものでないこと
「ト」《ロ》第三種特別電動役物の一回の作動による大入賞口の入口の開放等の時間は、十秒間を超えるものでないこととし、また、当該大入賞口の入口の開放等は、おおむね十個の遊技球の入賞により終了するものであること
「ト」《ハ》特別装置は、その作動中に遊技球が特別装置作動領域を通過したとき、又は第三種始動口に十六個を超えない数のうちあらかじめ定められた数の遊技球が入賞したときは、その作動を終了するものであること
規則改正の内容
1990年の規則改正では、「おまけチャッカー」と「一発台」が禁止され、特定の入賞口以外への入賞が容易になる構造が規制されました。
具体的には、「入口が開き、又は拡大した入賞口以外への入賞口への遊技球の入賞が容易にならないこと」と規定されました。
これにより、「オマケチャッカー」の禁止と同時に、「一発台」の大当たり中に玉を増やせるゲージ構成も制限されました。
ただし、正確な規則遵守の範囲内であれば、出玉性能に関しては緩和が行われました。
第1種(デジパチ)においては、最大1,300個が大当たり出玉の上限だったものが、「16ラウンド・10カウント・賞球15個」となり、最大2,400個までの出玉が可能となりました。
第2種(ハネモノ)も同様に、最大800個程度の機械に回帰しつつ、規則改正により出玉性能が向上しました。
第3種に関しても、「16ラウンド・10カウント・賞球15個」の規定が加わり、最大3回権利物で6,000個以上の出玉獲得が可能となりました。
しかし、この規則改正にはジレンマも生じました。
特に第3種の権利物は、「権利発生中に特定チャッカーに16個目まで玉が連続入賞したら、権利が終了する」という新たな制限が追加され、ゲーム性に課題が生じました。
この課題は後に「回転体チャッカー」の導入により解消され、権利物において新たな常識が確立されました。
以上が、1990年のパチンコ規則改正の主なポイントであり、これ以降の規制強化により新たな問題が浮上することとなりました。
パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第6回は「連チャンブームとCR機の登場」をお伝えします。