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パチンコの歴史④ ハネモノ&権利モノ誕生
最終更新日:本コラムでは、パチンコ業界での転職に役立つ知識としてパチンコ・パチスロの歴史についてお伝えします。第4回は「ハネモノ&権利モノ誕生」です。
目次
ハネモノ「ゼロタイガー」の登場とジャンル形成
1981年、フィーバーブームの後、遊技機メーカー平和製の「ゼロタイガー」が登場し、新たなジャンル「ハネモノ」を創り出しました。
この機種の発想は、当時トレンドだったセンターに役物を配置する中で、役物が玉を拾う大きなチューリップとして機能するアイデアから生まれました。
このユニークなアイデアは、役物の動きと連動しながら大当たりを生み出す仕組みで、「ゼロタイガー」が誕生しました。
ゲーム性は、盤面下部の左右落としにボールが入ると役物のハネが開放し、その中のVゾーンに玉が入賞すると大当たりが発生します。
ハネが開放中、再びVゾーンに玉が入ると18回の開閉を繰り返す仕組みで、最高8ラウンドまでの継続が可能でした。
当時の規制がないため、18回の開閉中に何個でも玉を拾うことができました。
この「ゼロタイガー」の登場により、ハネモノのジャンルが確立され、他メーカーも追従する形で新たな遊技機が開発されました。
「グラマン」「ギャラクシーダイバー」「モナキング」などが相次いで登場しましたが、特に三共製「キングスター」は、30秒間に小刻みでランダムな37回の開放を繰り返す独自の動きと、役物内の玉の楽しい動きで大ヒット。
この頃から、ハネモノが多彩な動きや面白い仕掛けで遊技者を魅了し、ジャンル全体が拡大していきました。
フィーバー規制とハネモノの躍進
1981年、ハネモノが新たなジャンルとして登場し、フィーバー機に対抗して独自の進化を遂げていきました。
フィーバー機には「10カウント規制」が施行され、その人気が急速に下降する中で、ハネモノはジャンルの築き上げに成功しました。
ただし、一方でハネモノにも1985年の「風俗営業取締法」による「風適法」が適用され、規制がかかりました。
風適法の施行により、「第一種(フィーバー機)」、「第二種(ハネモノ)」、「第三種(権利物)」といったジャンル分けが行われ、ハネモノも10カウント制限が導入されました。
しかし、ハネモノはフィーバー機と異なり、アタッカーがフルオープンするのではなく、ラウンド中も開閉を繰り返す構造であったため、10カウント規制がファンの支持に大きな影響を与えることはありませんでした。
風適法の施行後、ハネモノの中でも西陣製の「レッドライオン」が新たな適合機種として登場。
役物内にヘリコプターを搭載し、Vゾーン入賞時の爆音やサイレン音などの派手な演出で人気を博しました。
さらに、1986年に平和が発売した「ビッグシューター」は、画期的な仕様で伝説的な販売台数を達成し、40万台以上を売り上げる快挙を成し遂げました。
「ビッグシューター」は、従来のハネモノの基本構造を変え、役物内を上下二つのステージに分けて独自の仕組みを導入しました。
この機種は役物内で玉を貯留するアイデアを取り入れ、継続率アップを視覚的に訴え、瞬く間に大人気となりました。
そのドキドキ感と楽しさがハネモノの人気を不動のものにし、ジャンル全体の進化を促進しました。
一方で、ハネモノのゲーム性に慣れたファン層にとっては、射幸性を求める動きが別のジャンルで生まれ、それが次なるブームを引き起こしていくこととなります。
「権利モノ」ジャンルの歴史と進化
1985年に風適法が施行され、同時に「第一種(フィーバー機)」、「第二種(ハネモノ)」、「第三種(権利モノ)」のジャンル分けがなされ、これによって法的に正確な意味での「権利モノ」が登場しました。
このジャンル分けは2004年の規則改正で撤廃されるまで続き、それ以前から存在していた「その他」と呼ばれる機種も含まれていました。
「権利モノ」の誕生は、1985年以降の法的なジャンル分けによるもので、「Vゾーン入賞で権利発生」→「通常時は無効の始動口が権利発生中は有効になり、始動口入賞でアタッカーや電チューが開放する」などのゲーム性を持ちます。
権利モノは権利パンクがあり、パンク時には「権利発生中に再度Vゾーンに入賞」するか、「最高8ラウンド(1990年から最高16ラウンド)」や始動口に一定数が入賞した時点で終了する仕組みです。
1985年以前から「権利モノ」に似た仕組みを持つ機種も登場しており、古くは手打ち時代から「特定口入賞でチューリップ複数開放」などがありました。
その中でも、平和製「バイキング」や三共、京楽製「ボクシング」などが権利モノの原点に近い要素を持っていました。
これらの機種は、特定の口に入賞するとアタッカーが開放し、一定の条件下でパンクするなど、後の権利モノの進化に繋がる要素が見られました。
1981年と1982年には、権利モノの原点となる機種として平和製「バトルエース」と京楽製「コスモアルファ」が登場し、これらの機種は「Vゾーン入賞で権利発生」などのゲーム性を持っていました。
この時期の権利モノはパンクが発生しやすく、通常ストロークでの消化が必要でした。
その後、権利モノは進化を続け、「権利発生後は右打ち消化でパンクしない」などのアイデアが加味され、1995年には三洋物産の「CRギンギラパラダイス」が登場し、権利モノの新たな時代を築いていきました。
「一発台」の登場とその発展
80年代の熱狂的なフィーバーブームが規制によって収束する中、1981年の「30秒開放・10ラウンド規制」と1984年の「10カウント規制」が導入され、ブームは沈静化の兆しを見せていました。
そのような状況下で、「ハネモノ」「権利モノ」といった新しいジャンルが、一部の熱心なファンには十分な刺激となり得なかったのです。
特に千葉県では地域に合わせた厳格な「千葉タイプへの規制」があり、これが影響してフィーバーマシンの人気は急落しました。
この背景から、フィーバーマシンの代わりとなる新たなプレイ体験を提供する存在として「一発台」が登場しました。
実際、「一発台」という言葉にはジャンルとしての指定はありませんでした。
この流れの先駆者である西陣製「エレックスサンダーバード」は1982年に発売され、元々は一発台として企画されたものではありませんでした。
この機種は、フィールドの左右に空いた穴が特徴で、そこに玉が飛び込むとチューリップが開放され、通常では入賞が難しいチャッカーへの新たな経路が開かれ、入賞が容易になり、出玉が増えていくゲーム性を提供しました。
ただし、再度の入賞でチューリップが閉じてパンクとなりました。
当初はパンクしやすい機種として設置されていましたが、フィーバー規制の影響で後に千葉県を中心に「非常に入賞しにくいが、一度入賞するとパンクしにくい」というような釘調整が施され人気が再燃しました。
その後、1982年から1983年にかけて、マルホン製「パラレル」「センターフェース」「アラジン」、平和製「エンゼル」、京楽製「イーグルレント」など、さまざまなメーカーから様々な機種が登場しました。
そしてこれらは、通常の釘の設定を変更して「一発台」としての性格を帯び、連続的な勝利のスリルで観客を引き込んでいきました。
1985年の国家公安委員会規則の後も、「第一種」から「第三種」に該当しない「その他」の機種として、一発台は数多く登場していました。
もちろん、標準の設定でプレイされれば「一般の台」、いわゆる「平台」であり、検定も一般の台として許可されていましたが、釘の微調整によって「一発台」としての刺激的なプレイが生まれ変わりました。
そして1986年、三共が発売した「スーパーコンビ」は、勝利後の三つ穴クレーンでボールを振り分け、それにより「奥の2つの穴なら賞球13個、手前なら大当たりで絶え間なく出玉が続く」という興奮を生み出し、大ヒットへとつながりました。
こうして、フィーバーマシンの規制後、ゲーム市場は「ハネモノ」「権利モノ」に加えて、刺激的でエキサイティングな「一発台」というジャンルを確立し、再び賑わいを見せることとなりました。
パチンコ・パチスロの歴史を知ることは、パチンコ業界での転職知識として役立つだけでなく、転職後の業務にもきっと役立つはずです。つづく第5回は「一発台の盛衰と規則改正」をお伝えします。